ネイマールが我が街にやってきた! 12月22日Super Desafio de Natal観戦記

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今年最初の記事は、昨年末に我が街サルヴァドールで行われたチャリティーマッチについてです。

 

 

12月22日(木)のことである。10日ほど前のことになる。ネイマールが我が街サルヴァドールにやってきたのだ。

あのネイマールである。つい数日前に日本でクラブW杯に出ていたネイマールである。それが、日本から帰国し、その2日後に我が街サルヴァドールで試合を行ったのだ。

 

これは、バイーア州サッカー連盟が、現在のブラジルサッカー界における一流選手を呼んで、チャリティーマッチを行うというものだった。

 

私は、そのチャリティーマッチの10日ほど前だろうか、ふと我が街の幹線道路沿いにあるポスター(巨大広告看板)を見つけたのだった。そのポスターには、ネイマール女子サッカー界のカリスマ、マルタの写真が載っており、"Super Desafio de Natal(クリスマスの大いなる挑戦)"とタイトルが付けられ、「12月22日ピトゥアス競技場にて16時開始」となっていた。他に選手名として、エラーノ(サントス)、デコ(フルミネンセ)、マルコス・アスンサォン(パウメイラス)などと書かれていた。

これだけでは、いったい何をやるのか全く不明だった。ただ、これだけのビッグネームの名前が挙げられ、ピトゥアス競技場で行われるとなると、錚々たるメンバーでチャリティーマッチをやるのかなぁとも思ったが、誰に聞いてもわからず、まったく不明だった。

それが、クラブW杯が終わってから、だんだんと全貌が明らかになってきた。

12月20日(火)の地元紙などには、大見出しで、「ネイマール、今度はピトゥアス(競技場)へ!」などと紹介されており、詳しい情報がやっと明らかになってきたのだ。

やはり、チャリティーマッチを行うのだ。「ネイマールとその友達チーム」と「バイーア州出身者選抜チーム」の対戦となっていた。それも、前述の選手たちに加え、クラブW杯出場で名前を上げた柏レイソルの2ブラジル人選手、レアンドロ・ドミンゲスとジョルジ・ワグィナー、元セレソンGKのジダなどの名前も出ていた。(実際には、レアンドロ・ドミンゲスもジョルジ・ワグィナーも出ることはなかった。)

 

早速チケットを購入し、楽しみにこの試合を待っていたのだが、ネックはその試合開始時間である。

試合開始は、午後4時である。それもこの日は、平日である。何でこんな中途半端な時間に設定したのだろうか?学校は休みに入り、この時期、社会人も休暇を取る人は多い。しかし、まさに平日の昼間である。せめて、夜にやってほしいと思った。

 

さて、この日私は、終業の午後5時ちょうどに会社を出、一目散にピトゥアス競技場に向かった。恐れていた渋滞もなく、ほんの10分ほどで到着した。すぐに路駐係の指示に従い、車を適当な場所に停め、スタジアムのスタンドまで走った。思った以上に早く5時20分ぐらいには客席に着くことができた。

観客席に入ったら、すぐに妻と子どもたちを見つけることができ、後半途中からだったが、無事に観戦することができた。妻に聞いたところ、後半は始まったばかりで、後半10分ぐらいから観ることができたことになる。

 

グランドを見ると、ネイマールもいるし、ポニーテールを揺らしながら走り回る10番をつけたマルタもいた。

 

後半途中からとはいえ、この試合を観ることができて本当によかったと思った。特にネイマールとマルタのプレーを観れたことは本当によかった。

 

それにしても、お遊びだ。皆、ストッキングもすね当てもつけず、普通のソックスでやっているのだ。

ネイマールは、本当にリラックスしすぎなぐらいだった。試合中、リフティングなどしたりしていた。それに、黄色い声援に対して、手でハートマークをつくったり、手を振ったりしてるし・・・。

 

もうすでに、かなり選手交代がなされていたようで、エラーノもアロウカも、GKのジダももう交代してしまっていたようだった。

 

私が観始めたときには、「ネイマールとその友達チーム」の攻撃は、トップ下にマルタ、FWはネイマールとCSKAからフラメンゴに移籍が決まりそうなワグネル・ロヴィの2トップだった。

バイーア州出身者選抜チーム」は、バイーアの選手が多いのだろうか、「バイーア州出身者選抜チーム」のチャンスになると観客が沸いていた。さすが、地元の大人気チームである。ネイマールよりもバイーアを応援する人のほうが多いようだ。

 

最後の最後にネイマールが、ループシュートを決めてその瞬間にゲームセットになった。

6-4で「ネイマールとその友達チーム」が勝利した。

 

その後は、ネイマールとマルタが報道陣に囲まれ、マルタにトロフィーのようなものが与えられた。

その後、選手たちが観客席の近くに来たので、我々も観客席の下のほうに走って行った。

いろいろな選手がいた。サントスのアロウカやエラーノ、元サンパウロジュニオールなど・・・。

 

その後、観客がグランドの中に入っていったので、長男が「入りに行こう!」というので、それほど乗り気ではなかったのだが、長男に連れられるような感じで私と次男が一緒に行くことにした。

いざ、グランドの入り口に着いたら、係員がいて、入ったらダメとのことだった。しかし、なぜかこのとき既に次男が勝手にグランドに入ってしまっていたのだ。

これには困ったが、係員の制止を無視し、続々と人々がグランドに入って行っていたので、我々もそれに続き入り、次男のところに行ったのだ。

 

ほとんどの選手たちは、既に立ち去っていたが、一人だけまだ選手がいた。パウロ・イシドロだった。私は知らなかったが、長男が「この選手は今日で引退するんだよ」と言っており、長男は自分の着ていたサントスのユニフォームにサインをしてもらった。

パウロ・イシドロは、非常に気さくにどんな人に対しても快く対応してくれていた。地元チームバイーアで長年活躍した選手のようだ。

 

それにしても思いがけず、本物のサッカースタジアムのグランドの中に入ってしまったのだ。

こんな機会は滅多にないので、芝を噛みしめるように踏んで歩いたりした。ゴールの大きさを確かめたり・・・。

 

さて、その後、再びスタンドに戻ったら、お揃いのネイマールのTシャツを着たネイマールの追っかけの女の子たちなどもいた。ネイマールは本当にすごい人気である。

 

そして、スタジアムを後にしたのだが、長男がどうしてもネイマールたちが泊まっているホテルに行きたいと言い出した。

通常、サルヴァドールでサッカーの選手たちが泊まるホテルは、空港近くのデヴィーレホテルなのだが、昼間に妻と子どもたちが行ったら、ホテルの従業員に、今回はペスターナホテルだと教えられたのだった。

そのため、長男はどうしてもペスターナホテルに行って、ネイマールのサインがほしいと言い出したのだ。

 

私はまったく乗り気ではなかった。そもそも今更行っても、どうせ選手たちはもうとっくにホテルに着いて部屋に戻ってしまっているだろうし、サインをもらえるチャンスなどほとんど見込めないと思ったからだ。

しかし、どうしても行きたいというので、とりあえず行くだけ行ってみようということで、私は、長男と次男を連れて一路ペスターナホテルに向かったのだ。

道は、意外なほどにすいており、あっという間にペスターナホテルに着いた。

同じように、選手たちを待っているような人たちもいくらかいた。

 

とりあえず、ロビーのソファーに座り、待っていた。この時点で選手たちがもう着いたのかどうかはわからなかった。とりあえず、待っていたのだ。

 

しばらくして、我々が着いてから15分後ぐらいだっただろうか、警察のバイク、そしてパトカーに先導されるような形で1台の大型バスが着いたのだ。

これは間違えなく選手たちだとわかり、急いでロビーの入り口に向かった。

 

最初に降りてきたのはネイマールのお父さんだった。その次にネイマールが降りてきたのだ。そして、真っ先にネイマールに声を掛けたのが長男だった。

"Me da autografo, por favor.(サインください。お願いします。)"

すると、ネイマールは、嫌な顔一つせず、はいわかりましたよ、といった感じで、長男の着ていたサントスのユニフォームに書いてくれたのだ。そして、一緒にいた次男にも書いてくれたのだ。

私は、"Obrigado(ありがとう)!"といって勝手に握手を求め、握手してもらった。

 

まさか、本当にネイマールに会って、サインがもらえるとは、夢にも思わなかった。

 

その後、長男が、「アロウカだ!」と言うので、ロビー入口に入ってきたアロウカ(サントス)に声を掛け、同じようにサインをもらい一緒に写真も写してもらった。

その後も、エラーノ(サントス)、マルコス・アスンサォン(パウメイラス)、そして元浦和レッズのワシントンもいたのでサインと写真撮影してもらった。

ワシントンに対しては、「あなたは、日本ではとても人気がありますよね!」と言い、記念撮影をお願いしたら、「シャシン!」などと日本語で話し、喜んで記念撮影に応じてくれたのだった。

もう既に引退しているワシントンだったが、この日はハットトリックを決めるほどの大活躍だったようだ。

 

思いがけず、おもしろい結末を迎えることができたのだった。

 

それにしても、つい数日前に日本でクラブW杯を戦い、すぐに縁もゆかりもないサルヴァドールに来てチャリティーマッチをやってくれたのだ。

本当に、私にとってはとても嬉しいことだった。

その上、思いがけず、私の大好きなサントスの選手を中心に話しかけることができ、子どもたちはサインまでもらったのだ。

 

この日は、長男ともども非常に満足な一日を過ごすことができたのだった。