[クラブW杯2012][生観戦]決勝コリンチャンス対チェルシー 日本にコリンチアーノ大集結!今年のクラブW杯決勝は本当に素晴らしい試合だった!

12月16日に行われたこの試合は、本当に素晴らしかった。私は、スタジアムで観ていて感動を覚えるほどであった。

こんな素晴らしい試合について、記述しようと思い、早2週間が経ってしまった。

この感動的な記憶は、何としても文字として残しておきたいと思い、かなり遅れてしまったが、記述していきたいと思う。

私は、今年の6月までブラジルに住んでいた。そのため、南米一を決める今年のリベルタドーレス杯は、かなり熱狂して見ていた。残念ながら、その大会を最後まで見ることはできなかったが、準決勝第1戦まではリアルタイムで見ることができたのだった。

準決勝はすごいカードになった。なんと私が応援するサントスと長男が大好きなコリンチャンスの対戦になったのだ。ブラジルでは、Super Semifinal(スーパー準決勝)と呼ばれて相当に注目された。何といっても、国民的スター、ネイマールを擁するディフェンディングチャンピオンのサントスとブラジルで最も過激なサポーターを持つといわれるコリンチャンスの対戦である。盛り上がらないはずがない。

そんなSuper Semifinalだったが、私がブラジルにいた最後の試合が、サントスのホームで行われた第1戦であり、この試合はエメルソンの一発でサントスは0-1で負けてしまったのだった。

そして、私が日本に帰国してすぐに行われたコリンチャンスホームの第2戦は1-1で引き分け、コリンチャンスの決勝進出が決まったのだった。

この時点で、私はコリンチャンスを応援することにした。

通常、ブラジルでは、同地域でのひいきチーム以外のチームのことを毛嫌いしている人が多い。サンパウロでいえば、4大チームのどこかのファンは、他の3チームについては名前を聞くのも嫌なぐらいで、他のチームを応援することはない。しかし、私はサンチスタだがコリンチャンスは2番目に好きなチームである。これは、長男が熱狂的なコリンチアーノであることも影響しているだろう。ということで、サントスは負けてしまったが、コリンチャンスにはぜひリベルタドーレスで優勝し、日本へ来てほしいと思ったのだった。

そして、決勝のカードは、コリンチャンスとアルゼンチンの超名門チーム、ボカ・ジュニオールズになった。

試合を見れなかったのは残念でならないが、見事にコリンチャンスが勝ち、日本で行われるクラブW杯に出ることが決まったのだった。

この時点で、何としても、クラブW杯を観に行こうと思った。

そして、チケット発売日に必死にインターネットと電話をかけまくり、何とかチケットを取ることができたのだった。

さて、そんなコリンチャンスのクラブW杯の初戦は、12月12日のアフリカ代表のアルアハリ戦だった。この日は、所用があり、後半20分すぎからしか見ることができなかった。見始めた時点でコリンチャンスは1-0で勝っていたが、ずっとアルアハリに攻められっぱなしで、ほとんど攻撃ができていなかった。そのまま1-0で終わってくれて本当にほっとした。何とか逃げ切ってくれたという感じだった。

何はともあれ決勝に進出できたのでよかったが、これはかなり厳しいかな、と思わざるを得ないような内容だった。

一方のヨーロッパ代表のチェルシーだが、この初戦12月13日も所用があり、こちらはまったく見ることができなかった。しかし、聞くところによると、3-1だったが点差以上に圧勝だったようだ。

とにかく、決勝がコリンチャンスチェルシーの対戦になってくれて、本当によかったと思った。

決勝前日の12月15日(土)に、横浜のサッカーショップカモに子どもたちと一緒に行った。さすがに、大会期間真っ只中だったので、クラブW杯関係のグッズがたくさんあったのだが、そのほとんどはチェルシーのものだった。コリンチャンスのものは、レプリカ・ユニフォーム、Tシャツ、パーカーと大会事務局が用意したタオルマフラー、チームフラッグ(小旗)、それにキーホルダーぐらいのものだった。チェルシーなどはこれでもか、というぐらいいろいろなものがあり、日本でのヨーロッパクラブの人気ぶりを反映していた。

私は、ちょっと高いとは思ったがせっかくなので、コリンチャンスのタオルマフラーとチームフラッグを買い、気分を盛り上げた。

このカモの店内で、おもしろい情報を得た。なんと、一部のコリンチアーノは、船でブラジルから日本まで来たというのだ。その船に大勢のコリンチアーノが乗ってる写真があったが、その船というのが、まさに難民船のような感じなのだ。そんな小さな船に乗り、はるか地球の裏側まで1か月ほどかけて来たということ自体、本当にすごいと思った。

この大会にかけるコリンチアーノの思い、情熱は、常人では考えられないほどだ。会社を辞めて来た人が何人もいるというし、ブラジルから1万人のコリンチアーノたちが来るという。こんなチーム、サポーターは他に類を見ないだろう。

クラブを愛する気持ちはよくわかる。それも、コリンチャンスにとっては、初めてのリベルタドーレスの優勝であり、正式な通常のクラブW杯に出るのは初めてである。世界一になるチャンスを得たのである。この機会を見逃したら、自分の生きているうちに、その瞬間を見ることはできないかもしれないのだ。そう思うと何としてもこの目で見届けたいと思うことは、よくわかる。しかし、会社を辞めて、1か月もの船旅をしてまで来るこの情熱には脱帽である。

そして、決勝当日、12月16日(日)である。

心配していた天気は、前日の大雨が嘘のように、見事に晴れ渡った。それ以上によかったのが、とても暖かったことだ。これは屋外でのサッカー観戦にとってとても助かる。寒さに慣れていないコリンチャンスの選手たち、コリンチアーノたちにとってもいいことだろう。

この日は、日本中の最大の関心事は、衆議院選挙であった。私も、午前中には、愛犬を連れて、近くの投票会場まで行き、投票を済ませた。そして、子どもたちを預けていた実家に長男を迎えに行き、午後3時前に長男と一緒に家を出た。

本当に、暖かかった。長男は、持っているコリンチャンスのユニフォーム5枚をすべて重ね着していたがとても暑かったのではないだろうか。私も、唯一持っている2年前のコリンチャンス100周年の記念ユニフォームを羽織っていった。

午後3時半、JR新横浜駅に着いて驚いた。すごい人混みである。多くの外国人が大騒ぎをしていた。ほとんどすべてがコリンチアーノだった。既にコリンチャンス祭りが始まっていた。

ここで、妻と友人と待ち合わせしているのだが、果たして会うことができるだろうか?と思わせるぐらいの混雑ぶりである。しかし、そんな心配も無用で、すぐに会うことができた。

新横浜の駅ビルで、長男が会場で掲げるためのポスターを作るためのマジックを購入してから、一路スタジアムへ向かった。

この道中でも、コリンチアーノたちのパワフルぶりに圧倒された。飲み屋では、大勢のコリンチアーノがコリンチャンスのチャントを大声で歌いながら、ビールを飲み続けていた。

まさにお祭りだ。出店も多い。私は、ケバブを買い、食べながら歩いた。

そんなお祭り騒ぎを見ながら歩いていたら、あっという間にスタジアムに着いた。

ここでも、すごい人である。バックスタンド側の広いスペースには、大勢のコリンチアーノがまるで集会でもやっているかのように、埋め尽くされていた。その近くを通ることさえ怖さを感じた。ここは日本でない、ブラジルだと強く感じた瞬間だった。

ブラジルでサッカー観戦する際は、ほとんど手ぶら状態で行く。スリなどの危険性もあるので、財布などの貴重品は腹巻の中に入れたりして予防策を講じている。この日は、防寒対策等でいろいろなものをリュックに入れて持参していたので、機動性も悪かったのである。そんな状況も何とか無事に切り抜けることができた。本当にホッとした。

こんな中、ブラジル時代の友人数人にも会うことができた。

スタジアムからふと小机方面を見ると、美しいシルエットの富士山が夕暮れに映えてとても美しく見えた。

スタジアムのスタンド、自分の座席に入ったときには、午後5時ごろになっていた。既に3位決定戦は始まっていた。

のんびりとその前座の試合を眺めていたら、突如としてコリンチャンスコールが湧き上がった。

コーリンチャンス!コーリンチャンス!」

一体何ということなのだろうか。コリンチャンスの試合はまだ始まっていないのにである。しかし、スタジアム中でコリンチャンスの大合唱だ。

3位決定戦の最中であるが、観客はコリンチアーノが多く占めていた。

その試合中、長男は、ポスターづくりに励んでいた。持参した大きな白い紙に「TO NO SPORTV(SPORTVに映っています)」と大きな文字で、「PARA SEMPRE TIMAO ○○(いつまでもコリンチャンスファン ○○(自分の名前))」と小さな文字で書いていた。

これで、ブラジルでTV中継されるTV局SPORTVに映してもらうんだ、と張り切っていた。

3位決定戦が終わり、1時間ほどのインターバルがあったので、長男と友人と3人で長男が作ったポスターを掲げて、TV局クルーがいるところまで行った。TV局クルーにアピールして映してもらったが、その後ブラジルの友人たちから何の反応もなかったことからして、実際に映されたのかは疑問である。が、けっこう楽しいときを過ごした。

コリンチャンスの選手たちが出てきて、ウオーミングアップが始まった。少し遅れてチェルシーの選手たちが出てきた。スタジアム中で大ブーイングである。まさに、コリンチャンスのホームのような雰囲気だった。

さすがに、クラブW杯とはいえW杯の決勝である。試合前にいろいろなアトラクションが行われていた。

そして、いよいよ試合開始の時間になった。

本当に楽しみな瞬間がこれから始まるのである。

試合が始まり、最初の印象は、これはおもしろい試合になりそうだ、というものだった。

というのも、去年は、試合開始1分でこれはダメだ、と思わされたからだ。

劣性だと思われたコリンチャンス、まったく悪くなかった。ヨーロッパチャンピオン相手に、十分に互角以上に戦えていた。しかし、この日ボランチで先発出場していたチェルシーランパードからのスルーパスはよく通っており、危険な場面がいくつかあった。

チャンスの数は、チェルシーのほうが多かったか。いくつかの決定的なピンチ、特に前半の終盤には、GKカッシオの度重なる好セーブで何とか逃れていた。

前半は、0-0で終えた。これは、コリンチャンスにとって上出来だと思った。

後半は、コリンチャンスの攻勢が目立った。

そんな中、後半23分にコリンチャンスのゴールが決まったのだ。右サイドのジョルジ・エンヒーキから中央のパウリーニョに渡り、すぐに左にいたダニーロに流し、ダニーロが一人交わしてシュートした球が、相手DFに当たり跳ね返ったボールをゴール前で構えていたゲッヘーロが頭で押し込んでゴールが決まったのだった。

まさに、我々の目の前でのゴールだったので、ゴールに入った球がよく見えた。これには、私も、周りのコリンチアーノも、そしてスタジアム中のコリンチアーノたちも大熱狂だった。

ゴールを決めたゲッヘーロは、我々のスタンドの近くに走り寄ってきた。

私は、長男を抱き上げて喜んだ。

これには、感動した。

まさか、コリンチャンスに先制点が決まるとは・・・。南米のチームがヨーロッパのチームにリードを奪うことができるとは・・・。

まだ勝ったわけではないのだが、夢のように感じてしまった。

その直後、チェルシーはやっとオスカールが交代で入ってきた。オスカールほどの選手を先発で使わないのはどうかしてるとしか思えなかった。

試合終了間際は、ピンチの連続だった。何度「危ない!」と叫んだことか。そのすべてをGKカッシオを中心に守り切ったのだ。

ロスタイムには、ゴールネットを揺らされ、やられたか、と一瞬がっかりしたが、オフサイドの判定に救われた。

最後の最後までチェルシーの猛攻は続いたが、コリンチャンスは必死に守り、そのまま1-0でコリンチャンスが勝ったのだ。

これには、本当に興奮した。

まさか、南米、それもブラジルのチームがヨーロッパ代表のチームに勝てるなんて・・・。それも、見応えのある、素晴らしい試合をして・・・。

本当に、すごい瞬間を目の当たりにすることができた。

あのコリンチャンスが世界一になった瞬間を目の当たりにすることができたのだ。

私でさえこれだけの感動をしたのだから、根っからのコリンチアーノの長男にとっては、本当に最高の瞬間だっただろう。

本当に素晴らしい試合だった。

チェルシーの一方的な攻撃をGKカッシオが一人で守ったように思われているかもしれないが、決してそんなことはない。コリンチャンスも十分に攻撃ができていた。

コリンチャンスの選手もだいぶ変わってはいるが、私が慣れ親しんでいた23番のジョルジ・エンヒーキや20番のダニーロ、そして11番のエメルソンも十分にチャンスを作っていた。

去年の同大会のショックを知っているだけに、今年の試合は、本当に夢を見ているようだ。

ヨーロッパ代表にまったく遜色なかった。

去年は、スピードの違いをまざまざと感じさせられたが、今年はまったく感じなかった。とにかく、コリンチャンスは集中力を切らずによく守った。それほどのビッグネームはいないが、素晴らしいチームだと思った。

試合が終わり、コリンチャンスの選手たちが歓喜の中、グランド内を回った。

スタンド中のコリンチアーノは、大満足の試合となった。

この試合、もう一つの功労者は、スタンドを埋め尽くした大量のコリンチアーノだろう。

今まで、こんなクラブW杯(トヨタカップも含めて)があっただろうか?

日産スタジアムは、まるでコリンチャンスのホームのパカエンブースタジアムのような雰囲気だった。まさにコリンチャンスのホームだった。

表彰式が行われた。

3位の賞にゲッヘーロ、2位の賞にチェルシーダヴィド・ルイス、そしてMVPは文句ないだろう、GKカッシオに決まった。

この日のカッシオは神懸っていた。本当にカッシオがいなければ、3点ぐらい入っていても不思議でなかった。

そのカッシオだが、今年4月まではまったく無名の選手だった。それまでの正GKは文句なくジュリオ・セーザー(インテル・ミラノセレソンのGKとは別人)だった。しかし、今年4月末に行われたサンパウロ州選手権の準々決勝で、超格下相手に痛恨のミスを連発し、まさかの敗退を喫してしまったのだ。これがコリンチャンスというチームの恐ろしいところで、それを機に、ジュリオ・セーザーは姿を隠さざるをえなくなり、突如カッシオに出場機会が得られたのだ。それまで聞いたこともなかったので、おそらく第3のGKだったのだろう。しかし、カッシオは、その後のリベルタドーレスでも大活躍を続け、見事に正GKの座を不動のものとしたのだった。

それが、世界一の大会でMVPになったのだ。夢のようだろう。

私たちは、セレモニーがすべて終わるまで、スタジアムにいた。

本当に素晴らしい試合、素晴らしい瞬間に立ち会えたことに感謝したい気持ちだった。

この大会、クラブW杯は、来年・再来年はモロッコで行われる。今後、日本でいつ見られるのかは、まったくわからないのだ。

そんな大会が、我が国日本で行われ、南米代表でブラジルのコリンチャンスがたまたま出場し、その優勝の瞬間に立ち会えたことを、本当にうれしく思う。

おそらく、サントスかコリンチャンスが出ていなければ、この会場に足を運ぶこともなかっただろう。だからこそ、このめぐりあわせに感謝したい気持ちでいっぱいだった。

帰りは、JR小机駅から電車に乗った。

もうだいぶ遅くなっていたので、それほど混んでいなかったのだが、電車の中は大満足のコリンチアーノたちで一杯だった。

これが、まさにブラジルにいるときと同様に、電車の内壁をどんどん叩き、大声でコリンチャンスのチャントを歌い上げるのである。電車は揺れていた。果たして走るのだろうか、と思ったが、無事に走ることができて、ホッとした。

何人かのコリンチアーノと話したが、ほとんどすべてがブラジルから来た人たちだった。

これだけの試合を観るためだけに、わざわざ地球の裏側まで来たのだ。

本当に、来た甲斐があったのだ。

本当におめでとう、すべてのコリンチアーノ!そして、コリンチャンスには、素晴らしい試合をありがとう、と伝えたい。

これを機に、今後、ますますブラジルのサッカーが日本でも、世界でも注目されることを願うのである。

そして、来年の大会も素晴らしい名勝負が行われることを期待したいと思うのであった。

これが、今年最後の記事となります。今年1年間、ありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。